自分らしくいるために必要なこと

 

こんにちは。

いつも読んで頂き、ありがとうございます。

今日も小説並みの長さです。一度下まで確認してからが良いかと存じます(笑)

お時間あるとき、ゆっくりどうぞ♪

 

突然ですが

今の自分の性格、どのくらい認識できていますか?

お茶目、朗らか、うっかりさん、短気、すぐ迷う、怖がり、疑り深い、笑いすぎ、怒りすぎ、泣きすぎ、寝すぎ、食べ過ぎ、などなど

いろいろです。↑ いくつか性格欄には含まれず、本能、含む(笑)

 

中学生ぐらいから持ち前の性格を本気で変えたいと思うように。

くよくよ悩むとか、だらだらするのが大好きとか、いちいち本気モードで面倒くさいなど、他にもたくさんあってとにかく変わりたいが止まらない。

そんな自分と付き合ってくれた周りの友達といえば、部活で活躍したり、勉強ができたり、生徒会などでリーダー的な存在と、とにかくステキ。

みんなの様になりたいと小さな心に火がともる(笑)。

 

先日23年ぶりの同窓会がありまして

地元で20人ぐらい集まってワイワイと久しぶりの放課後のような騒ぎっぷりでホントに楽しかったです。

卒業式あたりから出回る当時流行ったサイン帳。

そこによく書かれていたのが「変わらないでね」の文字。

先生やクラスメートなど大好きな人からのメッセージには決まって、「今のままで」や「変わらないで」の言葉。

 

あれから20年(きみまろ風に)

先日の同窓会のとき開口一番、「全然変わってないね〜! 笑笑笑」

やってやりました!お望み通り変わってないです(笑)

 

でも、なんなんでしょうね。あんなに変えたがっていた自分も、そう言われて嬉しかったりしています。

よく分からないけど、変わりたい部分って、実は変わっちゃいけないんじゃないかなと。

現状を見て取る友人からの言葉に、安堵している自分をみてそう感じました。

 

話は変わって

このあいだテレビで自分らしさについていい話を聞きました。

「人生とは、くだりのエスカレーターを逆走するように歩いてる状態」なのだとか。

年齢を重ねていくうちに、その歩く足取り重く、歩幅も狭く感じてくるので、これまで以上に一生懸命、足を運ばないと下へさがって、見える景色が変わってしまう。

現状維持って聞くと、成長がないように聞こえるけど、10年前と同じ景色が見れること、これ実は凄いことなのだと。

なるほど、そうかもですね。変わらないすばらしさ。

 

自分絵巻を作ってみると分かるのですが、自分のカラーって一種類ではないと思うんです。

子供時代、妹時代、小姑時代、友達、妻、母、おばあちゃん時代、、、立ち位置が変われば色々な自分の姿、カラーがあります。ニコニコの時間も、ドタバタの時も全部自分の本当のカラー。

その時の自分のカラー(姿)がもし嫌だったと感じても、人からみたらどうでしょう。

その姿に元気をもらえたり、勇気が湧いたり、癒されたりと、見るものにとってはパワー化すことがあります。見る側に立てば分かります。

そう、ぶざまな方が美しい(だまれ、だまれ)、応援したくなります。

そうかぁ、わたしの役目かぁぁ。

不器用で恥ずかしいところも隠さず見せられたのなら、本人その気は無くても人の役に立てたりする。しかも笑ってもらえたら自分も楽になれちゃったり。

 

変えようとしても変わらなかった部分は、変えてはならないものでだったから。必要だからなのかも知れません。全ては今の自分になるための材料で、ここでまた新たな学びを得るために。

 

 

さて次は逆バージョン。

15年くらい前、人間関係のもつれから「自分らしさ」を無理やり変えたことで過呼吸に、呼吸が吐けなくなったお話です。

 

その時の現状は

ちょっと苦手な「エーーーーーーッ!」という人・場面に出くわし

その瞬間から”時間がとまり”、心の振り子が大きく揺れだす(いつまでも動揺冷めやらず)

 

 

もっと具体的にお話すると

 

苦手なタイプと思いながらも、敵に回したらもっと大変になると考え、嫌われないために相手に合わせ、顔色を伺い、気を使う。気が進まない時でも望む受け答えをして自分の気持ちはないがしろにでした。

当然そんな付き合い方、歪みが生じます。

 

これは良くないと気づいていても、今更変えられないその対応の仕方。

本当はいやなのに、仲良しみたいな関係が深まり、ますます息が詰まります。でも敵に回す方がもっと不安なので、変えられないその対応。

そしていつしかその関係の歪みが相手にも感じ取られてしまい(当たり前です)嫌がらせ攻撃勃発。

その場を離れ落ち着ける家に帰っても、人には心の目という物があります。

身体は現場から移動しても、この心の目が相手に向いたまま。

なので時が止まってる感じなのです。現在(今ここ)が見えず聞こえずです。手を洗っている感覚やご飯を食べて美味しいと感じる事が出来ません。

 

頭の中では、何度も気になる事がスクリーンに自動再生されているかのよう。

時が経ってもその時のイライラや不安感、息苦しさなどを感じ続けます。

 

特に息苦しさの原因「呼吸」は、浅めの早いものが続いていますので、心の焦りや不安は絶え間ないものになります。

 

落ち着きたいのに落ち着けない。

考えたくないのに考えてしまうのは

その呼吸の仕方に気づけないから。

 

 

その原因から心を引き離せるようになるまで、その呼吸は続くのです。

 

 

「呼吸が心と体に及ぼす影響」

これがどれほどの物なのか、このとき知る由も無かったので最終的に「過呼吸症候群」を発症です。

この病気の症状は簡単に言えば、全速力で走った後のような、激しい速さの呼吸で、吸えても吐けなくなっていくのが特徴です。

結構つらかったです。でも今はヨガで呼吸のコントロール=感情のコントロールに辿りつけたので安心。もうあの時の症状は感覚すら脳の記憶から削除されたようで、ありがたい限りです!

 

 

話を元に戻して。。。

ストレス性のものなので、過呼吸を起こさない為には、頭で今、何を考えているかが重要になるのですが、やっかいなことに、長い間、同じことで悩み続けていたため、そのことを考えていない時でも、突然「くるかな、くるかな」という症状に対する予期不安から始まって、まるで自然災害に襲われるかのようなに、自分の意思(思い)とは無関係に、何もそのことに触れていない感情であっても、呼吸が乱れる(過呼吸)状態となり、いつしか繰り返し起こる「発作」と化したのでした。

悩みや思いといった感情で起こる単発のものから、身体自体がその症状を引き寄せる体質、つまり身体が起こしてしまう発作と化したていったのでした。原因は身体がいつも緊張状態から抜け出さないからです。

 

(この経験はヨガを始める前のことです。現在は自然完治しておりますのでご心配なくです。)

 

こういう経験をして分かったことですが、身体にとって二酸化炭素も必要なんですね。

 

なんだか前回のブログと通じる内容

ポジティブとネガティブ

陰と陽

昼と夜

吸うための酸素と吐くための二酸化炭素

どちらも今必要だから存在。

 

ヨガの考え方の中で、

身体は心を乗せる乗り物だと言います。

 

良いも悪いもなく、心が望んだように身体は変化するのです。

 

そう言えば、あの時私は望んでいたもの

「何も見たく無い、何も考えたく無い、何も感じたくない」

 

呼吸をできなくすることで、それを実現させてしまった。

 

こわいです、こわすぎます。皆さんもいたずらでも望んだりしませんように。

 

持って生まれた性格から得た情報(感情)は宝物です。

その思い、捉え方を見て、今の自分の感情を知る(ツールです)。

こんな風に思っちゃいけないとか、こんな風に感じちゃいけないとか思わなくていいんです。そのままで。

 

ストレスを感じたら、まず

いつもの呼吸に戻すこと=本来の自分に戻すこと

これが自分らしさの心の動き(動揺をなくし)、穏やかさを取り戻す(焦りや不安を解除)ことに繋がります。

 

もちろん呼吸が戻せたからといって、今の自分を取り巻く環境が変わるわけではありませんが、戻せたあとの行動は変わります。行動が変われば運命が変わります。今後の日常生活が安心安全な形で進めよう軌道修正されるのです。

 

 

これをヨガでは「ストレスマネージメント法」といいます。

 

呼吸法やアーサナで緊張した身体が緩めば、大抵のことはどうにかなる、大丈夫です!

 

どうか皆さんも、大変なときこそ呼吸を意識してみてください。今自分が無理していないかどうかが一目瞭然です。

 

「呼吸を通して自分と向き合う」

怒っている自分(強くて短い呼吸)

泣いている自分(弱くてしゃくり上げる呼吸)

頑張っている時(強く短い、時に止まっていたりも)

悩んでいる時(浅くて弱い)

穏やかな自分(ゆっくりで深い呼吸)

もし10種類あったら(もっとあると思いますが)、それら全てをケースバイケースで認識、大切にしてください。

そしてその中で好みの自分をみつけたら、その出番が毎日の生活の中で少しでも多く登場するような呼吸の仕方を心掛けてみてくださいね。

 

自分らしくいるために必要なこと

それは「穏やかな呼吸」

 

皆様にとってこれからも心地よく過ごせる日が続きますように。

 

 

最後まで読んで下さりありがとうございました。